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2013年11月22日

 私はNGCなどのケース入りのコインをあまり歓迎しない。
縁の刻銘などが見えないし、手<指>での感触が全く味わえないためだ。
それに合成樹脂製のケースが、長い年月にわたってコインを封じ込めると、どういった
現象が生じてくるか見えないからである。
しかしながらビギナーの方々がある程度、上級品からスタートした場合、信頼性の面で意味があり、
とするものも少なくない。確かにそれにも一理あり、無視できないのは事実だろう。




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メダルは値上がりするのか?

メダルは値上がりするのか、という質問が多い。この回答は「ケース・バイ・ケース」――すなわちそのメダル次第である。  流通市場での使用を目的とするコインは、たいてい万の単位で製造されるため、製造技術の関係上、あまりハイレリーフにするのが難しい。数少ない例外の一つが、アメリカで1907年に発行された、セント=ゴーデン・タイプの20ドル金貨だ。これはセオドア・ルーズヴェルト大統領の命令で、「世界一美しい貨幣」を目指したもので、合計1万1250枚が発行された。  けれどメダルは特定の人物や出来事を記念しており、関係者だけに贈呈される性格を有した。そのため5枚とか10枚、多くとも100枚から200枚だけ、限定製造されたのであった。金製のタイプが高いのは、地金価値に加えて製造枚数が僅少で、現存数――すなわち絶対数が少ないからである。

古代で最も有名なメダルは、ローマ皇帝のハドリアヌス(在位117-38)の寵児――アンティノオスの肖像を描くタイプだ。これは皇帝が彼の死を悲しんで、コリントにおいて製造させており、現在ではわずかしか残っていない。このため2万ドルからの落札価を、何年も前に記録した。 この理由はやはりアンティノオスの知名度、そして稀少性だと言えよう。  コンモドゥス(117―192)は悪帝として名高いが、彼のメダルはかなり大型で、それだけ見ても製造数の少なさが見当つく。これも1万ドルと5桁の値が記録された。ユーピテルの神と表裏をなす。

神聖ローマ帝国では、銀貨と同じ量目でメダリックなシャウターレルを発行したが、そのため流通市場で使用されることがあった。オーストリアでカール5世の大型銀貨が製造されることはなかったが、ドッペルシャウターレルでは存在している。もちろん他の皇帝のドッペルターレルより遥かに高い値が付く。

フランスに90ドゥカットに相当する大型メダルがあるが、これはフランス海軍を率いるトゥーロン公爵を描いたもので、英蘭海軍を撃破したのを記念している。ところがこの海戦に先立つこと11日――1704年8月13日に、オーストリアのプリンツ・オイゲンやイギリスのマルバラ公(チャーチルの先祖)の連合軍が、フランスとバイエルン連合軍を大敗させたため、このブレンハイム会戦が大きく戦史に残った。直径67㎜の素晴らしいメダルで、2000万円近い評価だ。

イギリスのロンドン動物園教会が1826年に製造した金メダルは、5人の功労者に授与したもので、直径77㎜、量目231.5グラムを有する。金品位は1000分の375と低いが、純金を86.86g含有しているから、なかなかのスケールと言える。

イギリスはヴィクトリア女王(1837―1901)の即位に前後して、ウィリアム・ワイオンという優れた極印の刻印師が登場した。若い女王が最初に描かれたのは、貨幣の上でなくメダルであった。これは即位したばかりの彼女がシティを訪問した記念で、銀と銅のメダルに素晴らしい左肖像が見られた。1837年のことで、それから3年後の1840年に登場した郵便切手――ペニー・ブラックに、これが転用されたのは広く知られる。

資産としてのメダルは、まだまだ日本のマーケットで地位が確定されておらず、右から左というわけにはゆかない。しかしながらここで紹介したようなメダルは、国際的な価値がしっかりしており、資産性十分なのは言うまでもない。




即位したばかりのヴィクトリア女王(1837―1901)シティ訪問記念メダル


 即位したばかりのヴィクトリア女王(1837-1901)がシティを訪問した記念メダル



フランス海軍を率いるトゥーロン公爵2.jpg

フランス海軍を率いるトゥーロン公爵1.jpg


 フランス海軍を率いるトゥーロン公爵




イギリス 金メダル 1826年 ロンドン動物園協会顕影メダル 


イギリス 金メダル 1826年 ロンドン動物園協会顕影メダル    
 5枚製造 直径77㎜ 量目231.5g 375/1000 表面に12羽の鳥類、裏面には7頭の動物が、それぞれ描かれ、メダルの傑作との評価を受けてきた。2013年6月 £20,400





 カール5世 ドッペルシャウターレル

裏インフレヘッジ8 カール5世 ドッペルシャウターレル

カール5世 ドッペルシャウターレル




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最初のクラウン銀貨

イギリスクラウン銀貨 1551年 エドワード6世 これだけのものは滅多に目にできない

イギリスクラウン銀貨 
1551年 エドワード6世 これだけのものは滅多に目にできない



イギリスは大型銀貨について、オーストリアの後塵を拝してきたが、ついに1551年――エドワード6世(1547―1553)の治世下に発行された。ヘンリー8世の長男で、イングランドのテューダー家の王、としての貨幣発行だった。
これは本来、金貨の貨幣単位であるが、5シリングの価値を有していたことで、いつしか銀貨のものとなっていった。それどころか大型銀貨の代名詞として、今日も広く用いられている。
この1551年のクラウン銀貨だが、当時最先端のオーストリアの製造技術に較べて、かなり拙劣なことが目立つ。彫りが浅いことから、流通市場で頻繁に使用されると磨耗しやすく、状態の良好なものが極端に少ない。
最初のクラウン銀貨ということで、長く注目してきたコインの1枚だが、何しろ極美品――EFのグレードのを見たことがない。せいぜいVF+といったところだ。それもまたロンドンのオークション上でしかなく、手に触れる機会がなく終わった。
だから、イギリス最初の大型銀貨――クラウン銀貨を手にしようと思った場合、グレードを少し下げて考えないと、まず見送りの連続となってしまう。つまりVFだけあったら文句なく考慮に入れてよい。
イギリスのグレードが良好な大型銀貨や金貨は、退役軍人基金の資金が流入したことで、マーケットから急速に姿を消している。1601年や02年のエリザベス1世のクラウン銀貨もこれと似たような状況で、VFだけあったら上出来だと言える。
このあたりはグレードがVFだったら、押えておくべきだろう。何しろ5年先10年先が楽しみなコインである。


ローマ・コイン――見事な実在の人物の肖像

 ローマ期は共和政末期から、実在の人物の肖像を描いてきた。これは既にギリシア期エジプトのプトレマイオス1世(B.C.323-285)以来、ときおり見られるようになったが、それが本格化したのは帝政に入ってからだった。
 共和政末期ではB.C.44年のカエサル追悼記念ドゥポンディウス青銅貨が知られる。ここにはのちのローマ初代皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)、あるいは小ポンペイウスなどの顔も見られる。
 アウグストゥスは即位すると、デナリウス銀貨などに肖像を描かせたが、彼は貨幣刻印師に命じて理想化させた。このため初代皇帝については、肖像の顔を信じない方が良い。しかしながら第2代皇帝のティベリウス以降、多くの皇帝の肖像について、後世に面影を伝えていると考えられる。ローマの貨幣は、アウレウス金貨、デナリウス銀貨、セステルティウスやアース青銅貨などが主なものだ。とりわけセステルティウス青銅貨は、初期から中期にかけて直径が35mm近くあるため、手にして重厚さを感じさせる。もちろんグレードさえ良好なら、より小型の金貨や銀貨に描かれた肖像も、私たちを十二分に満足させてくれる。
 グレコ・ローマン文化は現在の欧米の基礎だけに、その人気は極めて根強いものがある。だからギリシアやローマ期のコインを蒐集するコレクターが極めて多く、資産としての受皿は歴史の深さが違うのだ。
 私はローマ皇帝の肖像を描くセステルティウス青銅貨を39種、コレクションしたことがあった。急に換金の必要が生じたとき、かなり有利な条件で短時間のうちに買手が見つかり、大いに喜んだ記憶がある。
(個別のコインについては稿を改めたい)
デナリウスインフレヘッジ 4 ローマ(共和政)デナリウス銀貨 カエサルの肖像を描いた名品
デナリウス銀貨 カエサルの肖像を描いた名品

ローマ帝国初期 セステルティウス青銅貨 カリグラ帝の美しい肖像
ローマ帝国初期 セステルティウス青銅貨 カリグラ帝の美しい肖像

インフレヘッジ 4 ローマ帝国アウレウス金貨 アレクサンデル・セウェルス(222-235) 円形闘技場を描く
ローマ帝国アウレウス金貨 アレクサンデル・セウェルス(222-235) 円形闘技場を描く

インフレヘッジ 4 ハドリアヌス帝のセステルティウス青銅貨。この程度のグレードは欲しい。

 ハドリアヌス帝のセステルティウス青銅貨。この程度のグレードは欲しい

 トラヤヌスの見事な肖像と裏面は皇帝の軍旗親授式典。セステルティウス青銅貨
トラヤヌスの見事な肖像と裏面は皇帝の軍旗親授式典。セステルティウス青銅貨

「ローマの貴婦人」と称されたアグリッピナ。アウグストゥスの孫でゲルマニクスの妻 この肖像でも判るとおり、クレオパトラとは較べものにならない美女であった。.
「ローマの貴婦人」と称されたアグリッピナ。アウグストゥスの孫でゲルマニクスの妻 この肖像でも判るとおり、クレオパトラとは較べものにならない美女であった。.

古代の芸術品ーギリシア・コイン

古代のコインはその殆どが、まだ温かく柔らかい金属の塊をハンマーで打刻する、という方法で製造された。このため一つひとつが微妙な違いを有しており、味のある出来栄えを示すのである。
 ギリシア期のコインで素晴らしいものが見いだせる都市国家は、経済的な先進国だと考えてよい。その証拠に、軍事国家のスパルタは、全く貨幣経済が存在していなかった。
 経済の発展していたアッティカ(アテナイ)をはじめ、シラクサ、カルタゴ、マケドニアなどが、競って素晴らしい貴金属コインを流通させたのだ。けれど立派な金貨や銀貨については、都市国家内の大口取引などはわずかであり、その多くは国外との交易決済に用いられたのであった。
 このためアッティカのアテナとフクロウ、シラクサのアレトゥサとクァドリガ(4頭立2輪戦車)、カルタゴのタニットと馬、マケドニアのヘラクレスとゼウス、といった具合に象徴が多くの場合に描かれた。つまりコインを目にしただけで、何処の都市国家のものか一目瞭然だったのである。
 マケドニアがアレクサンドロス3世の早い死により、帝国解体という事態を招くと、その版図はマケドニア本国以外に、シリア、エジプト、バクトリアなどに分かれた。これらは新しい為政者の下で、彼らの肖像を描く、量目が16から17グラムのテトラドラクマ銀貨を流通させた。
 こうしたギリシア期のコインは、スターテル金貨、デカ(10)ドラクマやテトラ(4)ドラクマ銀貨などが対象となる。これらは単なる貨幣という経済手段だけでなく、どれも素晴らしい芸術品と言って良い。それを個人の所有として座右におけることは、コインならではの幸運だろう。これは同時に高い資産価値を有しているのを意味する。
(個別のコインについては稿を改めたい)
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